「神の国の来る時」 04.08.01
ルカ17:20〜37
8月は「平和」について思いを向け、祈る月です。
私たち日本基督教団の教会は、本日を平和主日として定めています。
様々な争いが溢れる世に、平和が実現していくことを、心を込めて
祈り続けましょう。
聖書の時代も、平和とは言えない厳しい時代でした。人々は、神さまが
治めてくださり、導いてくださり、共にいてくださる「神の国」を待ち望んで
いました。
そんな人々に「実に神の国はあなた方の間にあるのだ」とイエスさまは
おっしゃいます。イエスさまが、そこにおられるからです。イエスさまは、
神の国をもたらす神の御子です。神なき所で生きている者を、神の御手に
導かれて生きる者へ変えるために、イエスさまは世においでになり、
十字架にかかりよみがえられました。そのイエスさまのいらっしゃる所で、
神の国が生み出されていきます。「あなた方の間に神の国がある。
あなたは神に治められ、神に導かれている。わたしがあなたの所に
いるのだから。」これが、イエスさまから見た私たちの見え方です。
しかし、私たちの現実は、そうとは思えないような出来事が溢れています。
神さまと共にある平安から程遠いように感じます。ですから、イエスさまは
22節からのところで、神の国を疑わせる様々な事柄に注意するように
おっしゃいます。不安の中でイエスさまの事をはっきり見たいと思っても、
見えないことがあります。「救いは、イエスさまでなくこっちにある」と
誘惑する者があります。
しかし、どんなに不安に思っても主を知る私たちは「実に神の国は
あなた方の間にある」との御言葉に立ち続けてよいのです。
たとえ私たちに見えなくとも、イエスさまがしっかり見ておられるからです。
私たちが右往左往しなくても、イエスさまがすでに歩み寄り、離れずに
いてくださるからです。
私たち信仰者は、自分の思いや人の言葉よりも、イエスさまの言葉を
確かなものとし、そこに立ち続ける者です。
御言葉にしがみつく時に、共にいて下さるイエスさまに気づき、神の
国の希望に生きられます。